「寂しい」の意味|6月9日

ずっと残された自分の立場で夫を見て来た。
絶対に先に逝く方がイイに決まってる、と思っていた。
ふと、思う。
そうかな。
この世で一番信頼する人間を残して、
自分だけ違う世界へと永遠に旅立つ事が辛くないはずがない。
私には、もう夫が居ないから死ぬことは少しも辛くない。
誰をも残していないから、驚くほど未練が無い。
今頃になって夫の気持ちを考える。
何にも未練の無い人生を生きていると「未練」って何だろう。
と思ってしまう。
私や、やり残した仕事、
深く信頼しあう関係の中で自分のすべきことを全うすること、
そのために機能すべき肉体と精神があるのに、
全てに決別して自分だけが「無」になってしまう。
「寂しい」と頻繁に言っていた意味がやっと分かり始めている。
「寂しい」という気持ちは、残される側が持つ感情ではなく、
逝く側が持つ強い感情なのだと気付いた。
そういう意味でも私は幸せなのかもしれない。
会いたいと思う切実な気持ちが、
ひょっとすると成就するかもしれない、
という限りなく小さな希望にのみ終始して生きている細やか過ぎる人生は、
中々捨てたものではない気もする。
そう思って時間の経過を見守ろう。
もはや何にも縛られていない自分の環境に、
夫が大好きな「自由」という言葉をかみしめる。
対象となる項目が全て無くなれば頑張る必要が無くなる。
生きれなくなれば死ねばいいし、
嫌いなものは誰に遠慮することもなく徹底的に排除すればいいし、
めんどくさいと感じれば放棄すればいい。
「全て、お前の好きにすればいいねんで、
死んだ人間の何にも束縛されるなよ」
聡明な人はそう言った。
それが後に残る者の特権だと言わんばかりに。

亡くなっても尚、いろんなことを夫から学んでいる。