無責任な人生|4月4日

桜の花を見に行った。
大昔、通っていた高校の近くに公園があることを思い出し、
ここなら二人で行ったこともないから、
変に感情過多にもならないだろうと思って....。
結論は、
「一年に一度だけ励ましに来てくれる夫」のような気は全くしなかった。

桜並木が続く道は、絶え間なく桜吹雪が舞っていて
少しだけロマンティックな気分にしてくれたけれど、
思いの外、感動的でもなく
一人で歩きながら桜とは無関係なことを考えた。

世間一般の人から見れば
訳のわからない理屈を数多く持っている私を
世界で一人だけ理解してくれる夫は居なくなった。
今思えば「理解」というような他人行儀なものではなく、
不器用で気難しい人間が、この世で生きて行くために
絶対的に必要な言わば勝手な道理を
お互いが同じ分量持っていた気がする。
どんなに自分の理屈に会わない一日を過ごしても、
人から何と思われても、
そんな安住の地があれば煩わしい世間など、
私達にとっては邪悪な下界に過ぎない。
でも、だからこそ守るべき存在に
常に神経を張り詰めてもいる。
それが人間本来の幸せな環境と言えるのだろう。

今の私には安住の地は無いけれど、
神経を張り詰める理由も無い。
言ってみれば一人でどうなろうと最高も最低もない。
限りなく身軽になった。
そういう意味で無責任な人生を生きていると言える。
笑ってしまうほど何もかもどうでもよくなるときがある。
だから桜を見ても自分には関係ないものに思えて
無感動なのかもしれない。

元々いい加減な人間が更にいい加減になっても、
夫なら充分過ぎるほど分かってくれると思えるから、
たちが悪い。
悲しむだろうとか、後ろめたいとか、
そんなことを思うほど二人の関係性は単純ではなかった。

時が経つほどに真実が見えて来て、
夫が亡くなってから随分自分を誤魔化して生きてきたんだな、
と思うようになって来た。
大阪府立成人病センターに通っていた頃の私は
ピリピリと神経を張り詰めて、
責任感の塊のような人間だった。