傷付いた者同士|3月4日

時々お世話になる歯医者さんが、
夫が末期がんで闘病中なので
予約の変更が必要になる事を言ったとき、
23歳で息子さんを亡くしたことを話してくださった。

以来、行く度に
自分の中で「息子の死」というものを受け入れる哲学を聞かせて頂く。
最愛の人間を喪い何年経っても苦しみを抱える人の言葉は重い。
それは単なる傍観者と違って
深くて胸に堪える。
「命は長さではない」とよく仰る。
長年、少しでも苦しみから逃れるために
繊細な頭脳で考え出された方法論が見える。
その哲学は私を反発心から開放し、
心から頷かせる力を持っている。
もう20年近く経つのに写真は見ることが出来ないらしい。
私を励ましながらも、自分をも励ましているようなところがある。
きっと今も一緒に生き続け楽しみを見つけ共有している気がする。
そんな医師が「うちに犬が一匹居ましてね。
コイツがやんちゃやけども、可愛くてね、癒されるんですよ。だから、あなたにも犬でも猫でも鳥でも何でもイイから飼って欲しいなぁ。」と言われて
「先生、鳥は苦手なんですよ。それに一人ですからね。
まぁ捨て猫でも出くわしたら飼います。」と返すと、
「犬、可愛いでぇ...。まぁ、何とも言えんわ。」という感じで話が終わる。

如何なる会話もこういう人とは話しが早い。
どうしてとか、それは違うとか絶対に口をついて出ては来ない。
深く傷付いた者同士、許し合い共感し合える。
しかし、そう何度も会える間柄ではない。
私にしては珍しくずっと話していたい衝動に駆られるけれど、
そうもいかない。
「ありがとうございました」と言って帰る時、
いつも「元気でね」と言われる。