緩和病棟での記録|10月6日

一年半ぶりに緩和病棟で記録したノートを恐る恐る開いた。
毎日の食事の内容や排便、排尿、本人の様子や鎮痛剤や眠剤、
その他、様々な症状に対する処方薬の増減など、
思いのほか詳しく付けている。
私自身の気持ちも書いていて、その時の状況がはっきりと蘇る。
読み進めるのはキツイ。
だけど止めない。
3月14日に入院して結構二人だけの生活を楽しんでいた雰囲気だったけど
4月に入るとコミュニケーションが難しくなる。
6日には飲食も取れなくなり経口の薬は全て中止している。
私には夫が苦しんだというイメージが記憶にない。
この時点であらゆる苦痛を一切感じさせたくないことを更に強く訴え、
既に意識は殆ど無かったけれど
7日にはセレネースとドルミカムでセデーションを開始し、
もう二度と目を開けることはなかった。
時々笑いながら眠っている。
私が理解できる最後の言葉は
「留美子と結婚してホンマによかった。ありがとう。」だった。
37度台前半から亡くなる二日前には38度5分まで熱があった。
頭、わき、太ももにアイシングをして体を冷やす。
足のむくみも強い。
時々シャックリも出るけれど、
鎮静剤を全開にして咽頭反射で 痰の吸引で刺激すると
本人には苦痛を与えることなく止めることができる。
尿も二日ほど出ていない。
腎不全なのだろうか、と思うけれど管を入れたりは絶対したくない。
看護師さんにそれも本人が苦痛を感じないように処置できるから安心するように言われる。
何が起きても、夫は麻酔が効いている手術前の患者の状態と同じであるにも関わらず、
看護師さん達は万全の体制で出来る限りの看護をしてくれていた。
電動式で定期的に膨らんだり縮んだりするウォーターベッドに替え、
更に背中や足とベッドの間に何度も手を入れて床ずれが出来ないように配慮して頂く。
とにかく最後まで苦しませることは絶対にしないので安心してください、
と言って貰えたことは、医療者から言われた言葉で一番嬉しい言葉だったと思う。
意識がなくなってからはパットをしていて赤黒い尿を見たときは衝撃的だった。
脈拍も弱くなってきているし、血圧も低い。
今日、明日息が止まってもおかしくない、と言われる。
もうこの段階では、むしろ私は安堵している。
大阪府立成人病センターから始まった長い旅は終わったのだと、
そればかり思って夫の顔を静かに泣きながら見ていた。

緩和病棟での細かな記録が果たして患者さんやご家族にプラスになる情報なのか、
よく考えてからアップしようと思う。