正解の意味|6月7日

夫が亡くなってから二つ歳をとった。
あと二年経つと夫の歳を追い越す。
そして、いつか遙か遠い存在になってしまうのか、
と思うと時間の経過というものの力が不思議でたまらない。

緩和病棟でつけた日記は、
それを開いてもマイナスに感情が振れなくなるときが来れば、
自然に見ることになるのだろう。
今は、その時期ではないと確信しているけれど、
その時は確実に訪れる、と心のどこかで感じてもいる。
二人の人生の最後の場所である緩和病棟で穏やかに過ごせた事は、
私の気持ちをどん底に突き落とさない要因のひとつでもある。

ガン末期の夫とそれを看取る妻のイメージは
世間一般ではとてつもなく暗い。
みんな最悪に不幸な末路を想像し、
そのくじを引かないことだけを祈っている。
だけど、国民の半数が罹り、
その1/3が死に至る病気を
ある年齢に達した時点では理解しているべきだと思う。
他人の事は興味本位でフォーカスしても、
自分のこととしては臭い物にフタをするように目を逸らす。
それではたぶん...楽には死ねない。

夫は常に自分の境遇を暗いものとして捕らえず、
非常に合理的に「死」を受け入れていたような気がする。
命を奪う病気がガンであること、
死に直面していること、
そして私の存在、
全てに於いて、まるで明るい未来が開けているような、
傍で見ていると少しワクワクしているような印象さえ感じることがあった。
だから、私も淡々と日々を過ごせたと言える。
大阪府立成人病センターを離れ、
治療を止め、緩和病棟に入った頃は、それが顕著だった。
さすがに私は、最後を迎える状況に不安を隠せなかったから、
医師や看護師の前で感情が抑えきれない場面もあったけれど、
それでも最後の日には
安堵感に包まれていた精神状態を忘れてはいない。

人間は、「考える」行為を止めなければ必ず正解に辿り着ける。
大阪府立成人病センターの医師が口癖のように言っていた
「治療に正解はない」は間違っている。
「正解」の意味を履き違えている。
それぞれに存在する自分の精神を納得させる方法は
手の届くところに必ずある。
それを夫が最後に身をもって教えてくれた。