情報と根拠と思考回路|3月4日

人間の思考回路は情報と根拠によって働く。
従って的確な情報量が少なく、
深く根拠を考えないと
物事に対する思考回路の働きが極端に悪くなると感じる。

例えば、西洋医学と東洋医学の両方を把握している医師が
漢方薬の処方をする場合と、
全く西洋医学の知識なくして
漢方薬のみを患者に処方する漢方医が居たとしたら、
私は間違いなく前者の発言には耳を傾けるけれど、
後者の意見は、ほぼ無視する。
西洋医学を殆ど把握していない整体師も気功師もヨガ講師も信じない。
人体に対する情報量が偏り、少な過ぎると思うから。
これはあくまで、良い結果を生むから、という意味ではなく
判断基準、或いは選択基準という意味に於いて。
結果はやってみなければ分らない。
しかし、少なくとも自分が信じられないものに関しては
結果は付いては来ないだろう。

がん治療もよく似ている。
大阪府立成人病センターなどのガン拠点病院に所属する殆どの医師は
標準治療しか知らない。
標準外の治療に関する情報がことごとく欠如している。
が、これを変えることは難しい。
製薬会社からの多額のお金が病院や政治家に流れている構図は、
そのガイドラインからの脱却不可能を意味する。
しかし、患者の判断基準は変えることが出来る。
医者は本人も言うように神様ではない。
百人百様の治療法があるなら、
極めて狭い領域に所属する人達の言葉を
どう受け取るかは個々の患者に完全に委ねられている。
情報量の少ない保険アドバイザーのような意見をどう捉えるかは
個々の患者に合った情報量と根拠が導きだすもののような気がする。
目の前の医師から信じるに足る根拠を見出せて全面的に頼るのか、
途中で違う、と感じたら行動を起こすのか、
或いは信じたフリをして別の次元で自分の進むべき道を開拓するのか、
全て自分自身が納得の行く情報と根拠に基づいて決断すべきだと思う。

私はずっと大阪府立成人病センターで治療に関する情報と、
その決断に足る根拠が知りたかった。
でも、その真意は中々通じず、
枠にはめようとする医師と彼らからすれば不良患者との相性は
極端に悪かったと想像する。
それでも最終的には表面的にせよ、
あくまで夫本人の気持ちを最優先してもらえたのではないか、と思う。

私は元来、人間がかわいく出来ていないので、
人に流されることはない。
根拠のないものは信じない。
信じ無さ過ぎて友達もいないけれど、
感情だけに流されるような人間関係も必要としない。
これも今となっては夫の影響なのか何なのか分らないけれど、
生き方として間違っているのかいないのか、
それは死ぬ間際に夫のように楽しい人生だった、
と思えれば自分にとっては正解なのだろう。