自己責任|2月3日

標準治療に疑問を持ち続ける医師のブログで
一通のメールが紹介されていた。
末期ガンに対する標準治療で、悪くなる一方の家族の姿に、
その治療の停止を懇願しても
遂に最後まで聞き入れてもらうことは無かったそうだが、
果たしてそんなことが有り得るだろうか。

標準であろうと無かろうと、
医療過誤でも無い限り、
あくまで責任は医師が取るものではない。
逆に懇願する患者の家族に対して
如何なる治療も強要することはできないし、
強要する意味もない。
「受けない」と言えばそれまでだろう。
しかし、その際に主治医が付け加えるであろう言葉は存在する。
「どうなっても責任は持てない」という言葉に尽きる。
この、「どうなっても」に患者の家族は恐れたのではないだろうか。

専門家である医師の言葉に
素人である患者の家族が恐れを抱く気持ちも分らなくはない。
標準治療の病院は標準であれば、
結果、のた打ち回って死のうが安楽に死のうが知った事ではないけれど、
それを途中で止めるとなると人間的意識レベルの低い医療者は、
あなたの取る行動は標準ではない、
ということを示唆する言葉を吐くとは思う。
だけど、何を言われても家族を守りたいなら関係がない。
責任の追及が怖いという相手のニュアンスがあるのなら、
誓約書でも何でも書くと言えばいい。
家族を守りたい気持ちが強ければ、
こんなやつらに負けてたまるか、という感情が芽生える。
そうなれば病院の院長であろうと看護師であろうと
相手が誰であってもこちらが怯む理由にはならない。
何が一番大切なのか、そこから派生する理屈は、そんなに難しいものでもない。

末期ガンの患者は、標準治療の病院にとって最弱者ではない。
自分の気持ち次第で病院なんか、どうとでもなる。
気持ちが萎えてしまうと自分が弱くなる。
弱くなれば、あらゆる人間が隙を突き出す。
家族を守るのは家族でしかないことを理解して欲しい。
目の前の現実だけに目をやると全体像が見えてこない。
辛いことだけれど、
最終地点から逆算して今を有意義に過ごすことで、思考回路がクリアになる。
そうでないと患者も家族も心身共に救われない。
あくまで、治療の選択権は患者側にある。

夫の闘病を経験した人間が思うのは、
誰かのせいにするのではなく、自己責任で、
それぞれに相応しい生き方をすることが一番大切なことだということ。
本気で家族を守ろうと生きていると、
きっと誰かが手を差し伸べてくれる。