新年|1月6日

夫の病気が発覚して4回、二人で年を越した。
様々な思いが交錯するそれぞれの新年を二人で噛み締めた。
そして今年は一人で新年を迎えた。
リフォームも済み、片付けも一段落したけれど、特に感慨深い思いもない。
それよりも二人で過ごした自宅とは言い難い
とてつもなく雑然とした部屋が懐かしい。
今は夫の遺品とスタジオの機材の残骸と
夫が毎日居たベッドや椅子が置いてある物置部屋になった。
人生で初めて趣味に興じたエアガンも置いてある。
いまだに弾が其処かしこに落ちている。
そこにお風呂場も作った。
時々、整理とお風呂に行く以外はリフォーム後の部屋に居る。
でも、どうにも精神的に居心地が悪い。
いっそのこと元の状態に戻って暮らしたくなる。
この想いをどこまで我慢できるだろう。
そんな事をしたらお金を掛けた意味がない。
私はいったい何をしているのだろう。
ふと自分が正気なのかな、と疑う。

夫の闘病中は、何十種類もの薬剤の名前が頭に入っていた。
覚えようと努力するまでもなく自然に頭に焼きついた。
薬剤同士の相性の良し悪しや効果、
一日分の薬量も夫にとって何が最善なのか判断し、
それを忘れることは有り得なかった。
だけど緩和病棟に入ってからは私の目的が変わった。
病院に要求する項目の全ては「楽に死ぬ事」に徹底した。
どんな薬剤をどれだけ投与するのか、どうでもよかった。
だから今思い返しても全く覚えていない。

ギリギリまで自分で歩いてトイレに行き、
痛みや息苦しさや倦怠感、
苦痛の全てを出来る限り感じることなく最後を迎えること、
その為なら寿命は極端に縮まってもよかった。
夫が望む死に方を何が何でもさせたかった私は
「絶対に苦しませたりさせへんから。その為に最後の力を振り絞って何でもするから。」
と夫に言った。
この「何でも」は文字どおり何でもだった。
その意味を充分理解している夫は、
「これ以上おまえに迷惑は掛けれへん」と突っぱねた。
意識が遠のいてからも時々目を開けたり、
手を握り返したりするのは苦しんでいるからではないか、
という思いから看護師に、
この状態では私が望む状態ではない旨を訴え続けた。
入院当初から私達は一心同体であること、
私の思いと夫の思いは100%同じであること、
お互いがお互い以外に親族は存在しないこと、
従って、この病室に訪れる人は一人たりとも居ないことなどを伝えていた。
これまで担当したことのない患者に、
少し戸惑いを見せながらも
私達夫婦の絆の深さが尋常ではない事を察して、
私の訴えは全て受け入れてもらえた。
もう、ほんの少しもこの世に未練を残さずに、
私を気使うこともなく静かに旅立つ準備に入った夫の姿に
長い旅の終わりを迎えるような安堵感を覚えた記憶がある。
大きな窓の外は桜で満開だった。

あの頃は冷静で強かった。
まるで人が変わったように支離滅裂で頼りない人間になった。
自分が守るべき尊い者が居ないと、ことごとくぐうたらになる。
果たしてどこまで落ちていくのか、
ここまでくれば見物でもある。