愛する幸せは知らない方がいい|12月30日

夫が亡くなったのが春。
夏も秋も過ぎたのに、その季節感を殆ど覚えていない。
ずっと会いたくて、
その想いだけにしがみついて日々が過ぎて行った気がする。
周りの雑踏は私には無縁で、
体と精神は別々に機能し続けた。
夫の事しか興味がなくて、
なのに残された写真は、やはり見たくなくて、
私の中に存在し続ける面影を追い続けている。
29年間、24時間を共に過ごした人が居なくなる現実は、
想像以上に精神に混乱を生む。
ふとした瞬間に、どうでもいい様な些細なことまで思い出してキリがなく、
あの頃に戻って顔を見たい、声が聞きたい、会話したい、笑い合いたい、と切望し、
すぐそこに居た時間に嫉妬する。

夫は「往生際が悪いのはよくない」といつも言っていた。
正に私は、その往生際が悪い人間の典型と言える。
私には優し過ぎる人だった。
だから、私が何を考えようと何をしようと許してくれるのだろうけど、
辛そうにしているのは辛いのだろうな。
今頃何をしているのだろう。
夢の中で会える気がして少しワクワクしてベッドに入るけれど、
逆に夢でよかった、なんて思う悪夢を見るときもあって、
いつでもとはいかない。
何とかして気配だけでも感じられる方法がないものかと、
無意味な時間を過ごしてみたりする。
夫の面影を追いながら死ぬまでボォ~っとしていたい。
そのうち朽ち果てて無くなってしまえばいいのに。
夫との数え切れない思い出が私の魂に触れる時があって、
一瞬々がなんて輝いていたのだろう、と今更ながらとてつもなく懐かしい。
過去に戻りたいなんて思ったことなど一度もないないのに、
今は戻りたくて仕方がない。

愛する人を喪っても愛する幸せを知らないよりはいい、と言う人がいる。
若い頃なら、そう思えただろうけれど、
今はそんな教訓じみた事は思わない。
知らないで済むことは知らない方が幸せな場合も多い。
人生では、どんな項目も一方に偏り過ぎると反動が大きい。
私の大嫌いだった「亭主元気で留守がいい」くらいの方がお気楽で正解な気がする。
今年の四月から様々な手続きに追われた。
働き盛りの大人が亡くなると容赦なく雑多な仕事が押し寄せる。
精神的苦痛を押し殺して用事を片付けた。
それでも未だ、やり残していることもある。

お正月は夫の幻と共に、しみじみ時を過ごそう。