医は人術|12月18日

コイル塞栓術という技術で脳動脈瘤を治すという医師がニュースで紹介されていた。
その神の手で今まで8500人以上の患者の命を救ったという。
リアルタイムの手術を見るべく全国から外科医が集まり、
その手腕を絶賛していた。
「神の手」。よく聞く話だけれど、
我も我もと押し寄せるあまり、
まずお目にかかるだけでも不可能だという認識が通常で、
その忙しいはずの時間をTV出演に使ったりしている人も多く、
なんだCMか、とがっかりする事も多い昨今、
この医師は公立の病院ながら相談窓口も開設し、
とにかく話だけでも聞きに来て欲しい、と門を大きく開いている。
もちろんタレントと同席するTV番組などに出演する気は毛頭ない。
若い頃の挫折も聞いた。
このコイル塞栓術を学ぶためにアメリカに渡り
日本に帰って初めての手術で成功はしたものの患者の指先に若干の痺れが残った。
患者は皮職人で指先の感覚が命だったらしく
それが原因で自ら命を絶ったそうだ。
その外科医は責任を取って医師を辞めることを決心するが、
医療を続けることが責任の取り方だという先輩の意見に意志を新たにし、
自分の技術に磨きをかけ治療に邁進しつづけ20年になるらしい。

大阪府立成人病センターなどのガン拠点病院で
末期がんの抗がん剤治療に何の迷いもなく邁進し続ける腫瘍内科医が、
患者の指に若干の痺れが出たとして、
一人の患者の人生に責任を取って
医師を辞めることを微塵でも考える人が居るだろうか。
副作用で短い生涯を七転八倒して過ごしたとしても
自分とは関係の無いものとして、
書類に無意味なハンコを押し続ける感覚で
日々の仕事をしている人が殆どなのではないだろうか。
医療体制の不備や理不尽さに怒ることもなく、
それぞれの患者にとって何が大切なのか頭をかすめる事もなく、
中途半端な自分の立場に苦しむこともなく、
この手の話も持って生まれた才能だからと
自分の中で簡単に処理してしまえる大らかな性質なのだろう。
しかし、医療は技術が先行するのではない。
あくまで意識が先に立つ。

医は人術だと言ったニュースキャスターのコメントはさすがだな、と思った。