ガン患者のイメージ|11月16日

国民の二人に一人が罹る病気であるにも関わらず、
誰もが共通して持つそのイメージは、とてつもなく暗い。
早期で発見されて手術や放射線治療で根治する場合はともかく、
「末期ガン」などという活字を見つけようものなら、
自分とは遥か無縁の存在であることを信じて疑わず、さらりと目を逸らすか、
あくまで他人事として興味本位に目を通すかのどちらかだろう。
私は、両親共にガンで亡くしているので、
自分に関しては身近な病気ではあった。
しかし、夫側の血縁関係には、
たとえ早期であってもガン患者は皆無だったことから、
まさか夫の身に降りかかるものとは夢にも思っていなかった。
確かに癌種によっては遺伝的要素もあるけれど、
殆どがその関係性はないと言える。
無知な私の後悔は、その時から始まった。

Ⅳ期のガンが発見された時、私はとにかく寛解させる方法を模索し続けた。
大阪府立成人病センターに通う間に多くの末期がん患者を目の当たりにすると、
診察の待合では、ほぼ全員が癌患者だとは信じられない程明るく元気だったけれど、
漏れ聞こえてくる話の内容は、それほど希望のある人は少なかった。
いつも1Fで採血、2Fでレントゲンを撮る。
この行為を大阪府立成人病センターで何回続けただろう。
1Fでは元気な患者さんがひしめき合う。
しかし、2Fでは偶に車椅子で多くの管に繋がれて
レントゲンを撮りに来ている患者さんを見かける。
明らかに辛そうで全身から拒絶感が漂っている。
本人が望んでいる様子は私には微塵も感じられない。
患者自身が望むなら、それでいい。
そうでないなら、何を思って無意味な検査を医療者や家族が強要しているのか、
かつての実母に対する私の姿勢が蘇る。
正に世間一般が持つガン患者に対する暗いイメージの象徴と言える。

私は絶対に夫にはこんな思いはさせない。
治らないなら、闘病の辛さを少しでも軽減させたい。
そんな一心で情報を掻き集めた。
長く生きて欲しい、という思いは当然、居座り続ける。
だけど、苦しむことと引き換えに時間が存在するのなら、
それは何が何でも私の中から排除すべき項目だった。
結果、三年半という時間は決して長くはなく、
私の愚かな考えで夫を苦しませた事も無いとは云えない。

このサイトを立ち上げたことによって、
患者さん本人から家族にも云えない心の叫びを
私ごときに打ち明けてくれた方も少なくない。

脈々と続く人間の営みは、
祖先からの責任を子孫が当たり前の様に受け継ぎ成立している。
生きている限りは一番近い人間と誰よりも気持ちを共有して生き続け、
そして残った者が、たとえ七転八倒しても
心の辛さを引き継いで生きて行くしか術がないのではないだろうか。

ガン患者のイメージは、渦中の人間からすれば他人が思うほど暗いものではない。
治療の選択如何で、最後まで元気で過ごし、
楽に人生を終われる病であると思っている。
患者本人の気持ちを最大限に尊重出来る医療環境は、
患者と家族が作り出して行くものだと実感している。