長い夢|11月9日

長い夢を見ていた。
それは私が25歳の時に
悪性リンパ腫で亡くなった実母の夢だった。

暗いトーンで終始構成されている。
巨大病院の母が入院する病室を延々さがしていた。
何度も訪れているはずの病室に、どう頑張っても辿り着けない。
あまりの焦りぶりに目が覚めた。

当時は、患者本人に病気を告知するなど御法度で、
近い将来、インターネットや携帯電話が出現するなど夢にも思っていない時代だった。
治療の情報を得る為に医学生向けに書かれた医学書を入手すべく
書店を転々と駆けずり回ったけれど、
時間をいくら費やしても情報らしきものは得られず、
それは、ほんの気休めでしかない無駄な行為だった。
主治医は若い誠実な医師だったけれど、議論の余地すらなく、
全面的に任せるしか術はない。

本人は最後まで自分の病気を知らずに逝った。
血液のガンで最後には肺に転移したので
「風邪がこじれて肺炎になった」と説明していた。
死に瀕した状況と相対さず過ごせたことが幸なのか不幸なのか、
当時の時代背景を考えると、今もって分らない。
しかし、母は常に肉体と精神の矛盾を感じて生きていた。
自分ひとりが蚊帳の外で、
周りの人間だけが真実を知っていた。

同じ方向を見据えて思いやりのある看病は出来なかった。

抗がん剤も二種類投与しただけで治療に終止符が打たれた。

一度目の抗がん剤で寛解した時、
母は、これで病気が治ると信じていたけれど、
やがて再発し悪化の一途を辿った。
本人は調子が良くなって病院の外を車椅子で散歩をした時、
少し寒いと感じた事が肺炎をぶり返した原因だと信じて疑わず、
自分を責めていた。

結局、最後まで私は嘘をつき通し、
一度たりとも事態を共有することはなかった。

実母の夢を見ることなど皆無に等しい。
底なしに暗い夢は夫の夢では見ない。

人にはそれぞれの人生があり、どの選択肢が良いのかなど知る由もない。
でも、夫とは全ての事態を共有し、お互いの立場を思いやり、最後まで明るく二人で生きた。
緩和病棟に入院している時でさえ、私は一度も自宅に帰らず、
どこかの高級ホテルに二人だけで居る感覚で過ごせた。

親を亡くす事は人生の中で辛いことには違いないけれど、
伴侶との別れに比べれば雲泥の差がある。
それでも、夢の中に夫が出てきて暗い顔をしていないのは、
二人で同じ方向を向いて全ての思いを共有し、
互いに生き切った感があるからではないだろうか。

娘としての責任を果たせなかったのだ、という思いは暗い夢で蘇った。
しかし、母には申し訳ないけれど、
親よりも遥かに大切な存在である夫に
これ以上の事は出来なかったのかもしれない、
という思いを少し抱かせてくれたような気もする。