老人にならなかった|10月12日

夫が闘病中、二人でテレビを見ていて
夫よりも20歳も30歳も年上の老人が事故に遭ったり
災害に遭ったりして突然亡くなるニュースが流れたとき、
「そこまで生きたら、むしろラッキーやと思うわ」と
私が感情を露わにしていると、
「いくつになっても死に方っていうもんがあるやろ、
人間の命は長さやなくて死に方やねんて」と夫が私によく諭していた。

私にすれば、人間いつかは死ぬわけで、
それが80歳や90歳で、如何なる形で命を喪おうと
充分に運命として受け入れられるものだと
むしろ恨めしくも思っていた。

夫が末期ガンの宣告を受けてから、
人に対する羨望が生まれ、私の中で凶器に変わった。

しかし、今私は病気になるよりも、自分が老いて行く過程を
想像する方が怖い。

歳を重ねる、ということは、そんなに容易いことではない。
体が動かなくなる、目が不自由になる、記憶がなくなる。
誰しもに訪れる過程は、そんなに単純なものではない。
社会に貢献出来なくなった人間が誰かに助けを請う状況は
あまりにも過酷過ぎる。
夫婦で長生きをしたが為に、お互いに介護が不可能になり
悲惨な結末を迎えるケースも少なくない。

肉体的にも精神的にも徐々に機能が衰えて行く自分を見つめ続ける行為は
歳だからといって、あっさり受け入れられるものではない。
若い人達の全てが年老いて行くように
年老いた人達にも必ず若い頃があったのだ。
老人には老人なりの悟りがあるわけではない。
あらゆる項目に充分な準備があるわけでもない。
無理やり不本意な状況に突入させられてしまうのが現状と言えるだろう。
見た目の年齢よりも精神年齢は、若い頃と
さほど変わることはない事をこの歳になって始めて知った。

しかし、体力と気力は比例する。
私自身、たった一年前よりも体力的に格段に衰えた、と思うことが多々ある。

従って気力の衰えも充分に実感する。
簡単に持ち上げていた重いものも、
今は持ち上げる気にもならない。
気力で支えていたものが、どんどん欠けて行く。
この傾向が、加速して行くことが老いることなのだ。

夫の死を考える時、
唯一「老いる」ことを考えれば、
幸せな人生だったな、と思えなくもない。
誰の指図を受けることも、年齢の制限を受けることもなく、
自由奔放に自分の人生を生き切った。

そして私が、もう10歳年を重ねていたら、
闘病中の夫を自分が納得できるまで支えることは不可能だっただろう。

夫は肉体的にも精神的にも老人にはならなかった。

今でも何も変わることなく、会えない辛さに耐え続けているけれど、
私が歳を重ねるごとに、
これでよかったのだ、と思う時が増えて行く様な気がする。
それが、たぶん私が生きて行くための唯一の助けになるのだろう。