神の存在|9月23日

夫は私にとって、親であり、兄であり、師であり....
他人から見れば、決して立派な人ではなかったのだろうけれど、
私は夫が作り出す空間の中だけで息をしていた。
誰と会っていても居心地が悪く、
ともすれば気分の悪さを異常な愛想の良さで誤魔化すような
対人恐怖症的な一面を持つ私でも、夫は全てを深く理解してくれた。
私の中では人間の相性とは、
表面的で部分的なものを指すのではないと思っている。
深くて全てでなければお互いを理解する事はできないし、
お互いを深く理解出来なければ伴侶とは呼べない、と思っている。
私達は、常に同じ方向を向いて人生を歩んで来た。
お互い、口にするもの以外の嗜好や感覚や考え方が異なることはなかった。
それは、長い年月の間にお互いを理解する努力を怠らなかったからかもしれないし、
或いは、不出来な私だけが、夫に多くの影響を受けたからかもしれない。
しかし、全てを理解したいと思う気持ちは少々臭い言い方をすれば、
深い愛情と尊敬の念が無ければ湧いてはこない。
気が強い割りには傷つき易く、常に自分に鞭打ち生傷が絶えない、
まるで試合中のボクサーのような姿を
母親のような気持ちで夫を見ていた時もあった気がする。

夫は最後まで私を娘のように守り続けたい存在であると云い続けていた.
「偉そうな事言っても、オレ救いようのないアホやから、お前のこと守りきれへんかった。
ごめんな。苦労ばっかり掛けて全然、恩返しできてへん。申し訳ないと思ってる。
これからの人生で女房孝行したかった。」と悲しそうに云っていた。

だけど、誰が何と言おうと、この世で私だけが夫を理解している。
夫には私一人では得られなかった数え切れない幸せを貰った。
私達二人だけで生きた証が私の中に充満している。
それだけで、充分過ぎる。

でも、こんな私でも母親のようだと云われた事が一度だけある。
忘れられない夕陽を見た次の日
CT検査を待ってるときに私の手を握り、「お前って母親みたいやな」
と言ったとき一度だけだと記憶している。
私は、その時から夫を猛烈に守りたい、と思った。
だけど、最後まで夫は、やはり私の親であり、兄であり、尊敬する師だった。
軟弱でバカな私に人生で大切なことを教えてくれた尊敬すべき人だった。

世間一般に「神」という言葉を良く使う。
大阪府立成人病センターの医師もよく使っていた。
「私は神さんじゃないから、抗がん剤はやってみないと分らない」
それは、あらゆる場面で都合のいい言葉かもしれないけれど、
私の中には神などという「ちゃち」なものは存在しない。

今でも、夫の人生の中で私に何を教えたかったのかを
どんな些細な事も記憶から呼び起こし、ひたすら考え続けたい。

自分が唯一崇拝する対象を人は神と呼ぶのなら
私にとっての神は夫以外の何者でもない。
自分の全てを預けて信じることが出来る存在なんて、
どんな時も苦楽を共にし、お互いを信頼し続けた伴侶以外
居るはずがない。