家族のスタンス|8月24日

夫が末期ガンを宣告されたとき、
言い様のない恐怖と不安感に打ちのめされた。
それ以降、よどんだ空気の中で、
かろうじて息をしているような
何とも言い難い生活をずっと続けていた。
やがて、一ヶ月ほど経ち、
夫の体調が元気な時と変わらず存在していることの安堵感から
地獄の底から少しだけ抜け出し、冷静に精神が働き始めた。

末期ガンと言われても、直ぐに命が終わる訳ではない。
今にも死ぬぞ、と言わんばかりの目の前の医師の言葉を
同じ土壌で真剣に聞く必要はないのだ。

大阪府立成人病センターなどの大病院で
最初に告知をする医師は、
患者本人にとって人生最大のピンチに
そんな重大な任務を遂行できる人間的力量の
ある人達ではないことが多い。

末期ガンの宣告は、目の前の医師が言うほど最悪ではないと思ってほしい。
情報を入手し、真剣に考えれば、今までに味わったことがないほど
穏やかな時間も充分に味わえる。

本当に手を貸せるのは家族でしかない。
しかし、その家族にも少しだけ助けて貰える何かが必要である。
相手を思うあまり、自分のことは肉体的にも精神的にも放置状態になる。
そもそも、心身共に自分の体調の悪さを感じなくなる。

私は、八方塞がりな状況に、いっそ二人で同時に死ねる方法を
考えることで、大きな安堵感を覚えていた時期がある。
それを夫に共感を求めて必死で話ていると、
「云うとくけど、お前は病気じゃないねんで、健康体やねんで」
と言われて、そうか、私は病気ではないのだ、
と非常に不思議に思う場面があった。
それは、一度や二度ではない。
こうなると、もうれっきとした精神病患者と言える。
夫に、これ以上甘えることは許されない。
自分の精神や肉体に自信が極力なくなったと感じた時点で
大阪府立成人病センターの心療緩和科の主治医から
夫と共に、抗欝剤を処方してもらった。
近隣の内科医のお世話にもなった。

支える側は、心身共にタフでなければ、その任務を全うできない。
私の場合、ぎりぎりセーフだったようである。
夫の事は、ついつい前のめりになってしまう。
しかし、三年半、二人で話し合う時間を充分に持ち、
お互いの気持ちを包み隠さず、全てを二人で受け止めることで
私なりに序々に冷静になれた気がする。

「全てを包み隠さない」ということは、
私にとっては楽な行為と言える。
状況を二人で共有することは、
夫に対して、その度量に甘えていることにもなる。

しかし、家族は患者本人と同様に病んでいる。
如何なる状況であってもお互いに出来る限り助け合わなければ
それを乗り越えることはできない。

家族の中に鬱病の患者が居れば、
家族中に、その鬱病は移るものだと、心療緩和科の医師は言った。
夫婦と言えども、本人の苦しみは本人にしか分らない。
だからこそ、包み隠さず吐き出したって唯一許される関係なのだと思う。

治ることのない病気に羅漢したとしても、
地獄の苦しみだけが待っている訳ではない。
家族としてのスタンスを明確にすることで、
少しづつハードルを乗り越え、
誰しも長い時間を穏やかに過ごすことが出来ると信じている。

患者本人も、家族も自分を甘やかす術を見つけてほしい。