母の存在|6月20日

私には夫の他に大切な肉親が、もう一人いた。
それは夫が亡くなる二ヶ月前に亡くなった90歳になる夫の母である。
口数の少ない母は、
若くして両親を亡くした私のことを
嫁ではなく娘だと言い切った。
自慢話の嫌いな母が私のことを
数少ない親戚に自慢していると夫から聞いた。
いつも私たち夫婦に一歩も踏み込むことなく、
一線を引きつつも縁の下で精一杯支えてくれた人だった。
結婚して以来、私はずっと母のような女性になりたいと思ってきた。
私達の結婚生活は、母が居なければ成立していなかったとも思える。
その母が最後に教えてくれたことがある。
亡くなる前の一年程は、もう私の顔さえ分らなかった。
夫の看護を続ける私に、母に出来ることは殆ど無かった。
最後に間に合わなかった私は、母が可愛そうでたまらず
亡骸をなでながら号泣したことを思い出す。
世間では90歳の人間が老いて亡くなることは、大往生だと言うだろう。
私もずっと、この歳まで生きれた母は幸せだと思っていた。
しかし、「可愛そう」だと思う理由は、
愛した息子の病気を知らないことや、
私が納得の行く看病を出来なかったこと以外に
あまりにも、その死に顔が悲惨だったからである。
「老いて死ぬ」ということ。
それは一概に楽に死ねるとは言い切れないことを知ったからである。
夫は最高の笑顔を私に残してくれた。
母よりも30歳も若い夫の死に顔は決して悲惨なものではなかった。
現在の日本では平均寿命が延び、老人はどんどん増える。
元気で最後の瞬間まで生き切る人は、ほんの一握りで
病院は老人で溢れかえる。
その結果、大病院は、すぐに追い出され、
設備も人材も低レベルな、
本来は淘汰されているはずの病院に
介護施設から送り込まれることになる。
ガン患者を専門に受け入れる緩和病棟とは
全くスタンスを異にする老人専門病院は、
「死んで当たり前」「苦しんでも当たり前」が前提にある。
確かに平均寿命を過ぎた老人が死ぬのは当たり前だろうし、
老いている分、苦しみも少ないと考えるのも自然とも言える。
しかし、母の死に顔は、そうではないことを証明していた。
病院に入って二ヶ月もの間、
老人は老人なりの苦しみを感じて生きていたのである。
母は常日頃から長生きするのは本望ではないと言っていた。
だから延命治療も点滴に至るまで一切を拒否したいと言っていた人だった。
その希望は院長にしっかりと伝え、
実際に希望どうりにして頂いたけれど、
現在の医療体制では老人と言えども
避けられない苦しみを味わうことになったのである。
「これ以上は生きれない」と
最後の搾り出すような母の声が聞こえてくるような死に顔だった。
母は私に教えてくれた。
息子は私よりも若かったけれど、
人間の人生は長さではなく、その死に方なのだと、
息子が楽に幸せに死ねてよかった、と
「よく頑張ってくれたね」と、
せめて息子よりも早く逝けた母の声が聞こえる気がする。