自分自身の生き方|6月4日

夫の闘病中、私は、あらゆる事を考えた。
治療の選択はもちろん、医療のあり方、医師とは何か、
日本の国そのものについても、それは及んだ。
夫が亡くなって、もうすぐ二ヶ月になる。
様々な雑用をしながら、やはり色々考えた。
考えれば考えるほど、涙は止まらなくなる。
夫の姿、声、思い、あらゆる面影に翻弄され
精神が、かき乱される。
しかし、また考える。
何をどう考えても夫は二度と帰っては来ない。
闘病中も含めた夫が残した苦しみも喜びも全てを正確に消化し、
心に刻み、ありのままを受け入れ、
夫との29年にも及ぶ生活の一瞬をも忘れず抱き続けること。
それを供養とするなら、夫の供養を一生続けるほど私はタフではない。
少なくとも、忘れてしまいたいことは山ほどある。
夫との充分すぎる思い出は、時に私を破壊する。
夫は今でも、あの世のどこかで
私が幸せになる事だけを祈っているに違いない。
ひ弱な私を一人残して逝くことをいつも嘆き
「可愛そうやな...」と言って、よく私を抱きしめた。
その度にこのぬくもりも安心感も
全て失ってしまう恐怖を体中で感じていた。
辛い思いは、もうたくさんだ。
一人になって、これ以上味わうことでもないだろう。
人間は思い出と悲しみだけでは生きて行けない。
夫は「オレのことは必ず時間が解決するから心配するな」と言っていた。
「よく言うわ、人事やと思って、一生苦しむかもしれへんやん」と言う私に、
「人間って、そこまで記憶力よくないねん。上手く出来てるねんて」と言っていた。
そう言うなら自らが忘れる努力をすることが、
今の私には必要なことなのだと言われている気がする。
思えば、大阪府立成人病センターでの一年間、
奈落の底から這い上がろうと必死でもがいている人間に、
一切手を貸さず、逆にその努力を踏みにじろうとする医師の下で苦しみ続けた。
そんな地獄から見れば、
今、夫は楽になり、楽になった夫を思う私も楽である。
しかし、今でも、
悪魔のような自称医療者に苦しめられている患者さん達が後を絶たない。
これに関しては私の記憶から葬ることはしてはいけないと強く思っている。
だから私の力の続く限り
医師という存在のあり方や現状、
彼らの実態を考え続けてやろう、と思っている。
これは、夫が私に残した仕事の一つでもある。
自分自身の生き方を考える時に来ている。