一人で生きるという事|5月25日

夫が亡くなってから、何となく、だらしなく時が過ぎる。
夫の病状に一喜一憂することも、
少しでも生きている今を幸せに感じてもらいたい為に
奔走することもなくなった。
それなら、開放感が少しでもあるのかと言えば、
それは全くない。
何をする気もなく、鬱病だった、かつての夫のように
ベッドにしがみついている。
私は、もっと一緒に生きて、夫をもっと理解したいと思っていたけど、
一人になってから日を追うごとに夫が何を考え、
私に何を教えたかったのか分るようになってきた。
だから、どんどん辛くなる。
こんな状況から抜け出せるのはいつなのか、
或いは、これから生涯、このままなのかと不安に陥る。
世界中でただ一人、
私を理解し、全てを受け入れてくれた伴侶を亡くす、
ということが、どれほど寂しく、悲しい事なのか、
時間が経つにつれ思い知っている。
ただ々長い月日を共にした人が居なくなった喪失感ではない。
私の全てを理解出来る人が、もう何処にも居ないという絶望感なのだ。
この間テレビを何気なく見ていると、
87歳のおばあさんが私と同じ歳にご主人を亡くされた時、
5、6年もの間泣き暮らした、と言われていた。
5、6年も....。
夫も認めるバイタリティーの無い私には耐え難い。
「明るく元気に生きて欲しい」その夫の気持ちは痛い程よく分る。
だけど、一人で生きるという事、
自分の中だけで夫の面影と暮らすという事、
これはそんなに容易いことではない。
私には避けては通れない重要な仕事が残されているのに、
生きる為の最低限のことしかしていない。
仕事がしたい。生きているなら仕事がしたい。
でも、体も動かないし、精神も付いていかない。
きっと夫は、今の私のような状態で日々を過ごしていたのだろう。
私だけを頼りに、生きがいに、
ささやかな命の灯火をともしていたのだろう。
夫は、この世ではない何処か遠く宇宙のかなたにいるのだろう。
二人で生きているとき、「死」はとても身近な存在だった。
でも、一人になった今、それはもっと近く、そして深刻なものではなくなった。
その時が来たら、私は夫の元へ孟スピードで飛んで行く。
その時、「よくやったな」と夫に褒めてもらいたいから、
たくさんの楽しい土産話を持って来てほしい、と手紙に書いてあったから、
ひ弱な私なりの人生をあと少し、
夫に恥ずかしくないように生きなければならないのだけど。