末期がん医療の展望 | 11月11日

夫の病気が発覚して2年以上が経過した。
大阪府立成人病センターに通い続けること2年。
今まで様々な精神的葛藤も含めて悪い頭を無理やり回転させて来た。
医師ではないから業界の空気がどうなっているか全く予測すらできないが、
患者の家族として真剣に戦って来た分、結構、信憑性を持って見えてくるものがある。
医師たちは、治らない病気に対して
意図も簡単に患者のダメージに見て見ぬフリをして標準治療に邁進するか、
元気なうちから無治療を選択させるか、
或いは素人同然の患者に「お好きにどうぞ」という姿勢で
抗がん剤の量も投与方法も全ての主導権をバトンタッチするか、のどれかである。
そのどれもに責任の所在がない。
責任が無いという事はやりがいが無いという事にも繋がる。
唯一あるとすれば重篤な副作用による死亡患者の発生に於ける責任であり、
言ってみれば、この一点にのみ神経質である。
医師にとって治せない事ほどプライドを傷つけられるものは無いのでは、と思うが、
所詮治らない病である。
如何なる治療を選択しても、その寿命が短かくて誰に文句を言われるものでもない。
外科医なら執刀する立場に於いて、
成功に導かなければならないという使命感が要求されるし、
実際リアルタイムで実行される手術の緊張感や労力は相当なものと推察される。
町のクリニックでも地域に根付いて商売を展開させなければならない以上、
些細な病気であっても結果を出さなければ患者の足は遠のく。
医療も去ることながら患者に対するサービスまで要求される事になる。
従って「やりがい」を言い出すとキリがない程、目の前に山積している。
私は夫を通して、この医療界の盲点とも言えるような世界を垣間見た気がした。
そんな中で、どうにも我慢がならず飛び出した医師達がいる。
高橋豊氏の唱える休眠療法に端を発し、
自分が志した医学は標準治療には無いと
プライドを持って格闘している医師が私が知っている範囲では数人存在する。
現在の末期医療の最先端は患者個々に用量、用法を決める休眠療法だと思うが、
高橋医師は臨床の現場で10年も前からデーターを集め論文をアメリカでも発表している。
その功績は序々にアメリカで認められつつあり、 更に臨床試験を繰り返している。
アメリカで認められれば二番煎じが好きな日本も
遅ればせながら取り入れる事になるだろう。
国の定めるガイドラインに組み込まれれば
ぬるま湯が好きな人達も従わざるを得ない。
劇的な薬剤が登場しない限り、
唯一患者の気持ちも肉体も救う治療は
患者個々に治療を模索する休眠療法しかないのではないか。
大阪府立成人病センターに代表されるガン拠点病院は
忙し過ぎて患者個々の観察など出来るはずがないという見解があるが、
私はそうは思わない。
情報の整理もデジタル化が進み個々のデーターの処理能力は格段に上がった。
従って今でも個々の患者に向ける注意力の方向性を
少し変えるだけで可能な事も多々あると実感する。
少なくとも今よりはマシな事ができるだろう。
最もこれは医師自身のやる気の問題で、
能動性のある人は自分なりの方法を何としても見つけ出し、
すでに実行している人も多く存在するのだろうが。
肺がんⅣ期の患者に何を真面目腐った顔をして
大量の白金製剤と新規抗がん剤の併用を標準治療として実施するのか
意味が分らない。
10年後、私は、この休眠療法が末期医療のメイン治療になっている気がしてならない。
医学を志した人間として、
そして、当たり前のことを当たり前に実行すべき医療として。