患者と医師で築いた治療 | 9月13日

8月28日の「嬉しいメール」
素晴らしい主治医を紹介して頂いた方から
ご主人の治療経緯を説明するメールを頂いた。
私は、まず自分の軽率さを反省しなければならない。
Ⅳ期でありながらも手術や放射線治療を何度も受けられ、
その時々で どれ程の肉体的苦痛や
精神的不安や恐怖や葛藤に立ち向かって来られたかを考えもしないで、
「あらゆる治療を模索する患者さんの為に治療の経緯を教えてもらえないか」
などと偉そうな返信文を送ってしまった。
私は医師ではないから、並々ならない治療体験に対して
何のアドバイスもする事ができないし、
善意を美味く消化し、人に噛み砕いて説明する術も知らない。
なのに、そんな貴重な体験を教えろとは何事か。
頂いた長い文章を読みながら、
時間を掛けて書いて頂いた重みに自分の浅はかさを思い知った。
しかし、私の勝手なお願いにも関わらず快く少しでもお役に立てるなら、
と寛容な返事を頂いたので、そのご好意に感謝し
厚かましいことを承知の上で掲載させて頂くことにした。

以下は頂いたメールからご主人の大まかな治療経緯と、
その時の主治医の対応、そして私のつまらない感想を掲載させていただく。
薬剤の種類や治療経過の詳細はご本人の希望により省かせていただいた。

 

治療の概要:抗がん剤3rdラインまで、手術4回(原発・転移巣・リンパ節×2)、放射線治療4回(術後の再発防止のための照射×3・手術不可の場所への直接的治療)

①最初は3b期と診断され、手術は対象外ということで抗がん剤治療を始められる。1stラインの2クール目でX線画像の病巣が小さくなったように見えたとの判断で手術をされるが、術後細胞診の結果は抗癌剤の効果はなかったとの判定。

最初の抗がん剤治療が奏功しなかったと判明した時点でご本人が手術の可能性を強く考えられたのだと思うが、この時点で既に揺ぎ無い強い意志を確信した主治医の標準でない尽力が始まっていると感じるのは最初の手術であるにも関わらずX線だけで踏み切られているところである。病院内に於ける主治医の立場を知る由も無いが、この段階で自分の判断を押し通すには余程強い信念が必要であると感じる。

②次の段階で遠隔転移を起こされるが、ご自身とご家族の強い希望により「分りました」の一言で院内の担当科に主治医は手術のオーダーを出された。当然、外科の担当医は遠隔転移とされる標準的には無意味とされる手術に難色を示す。

ここでも主治医は手術前の細胞診が出来ない部位であり、摘出して確認する価値があるという表向きの名目で患者サイドの希望に尽力される。やはり、術後の検査結果は遠隔転移であり、これは病気発覚時点ですでに存在していたものと推察され最初から病期はⅣ期であったとの告知を受けられる。おそらく主治医は自分の責任で患者本位のオーダーメードの治療を最初からするつもりで標準治療にしか興味のない院内の医師を説き伏せる為の施策を常に考えておられたのではないだろうか。

③その次は遠隔転移が確認された後のリンパ節への局所再発。ここでも手術を希望される。

さすがに主治医も遠隔転移確認後で躊躇される様子があったようだが、「では取り出して調べましょうか?」という機転の利いた計らいで、表向きは検査としてリンパ節への局所再発までも摘出となるのであるが、院内での反発覚悟の度重なるゴリ押しにさすがに主治医の立場を心配されたが、この方法でもう一度手術をする運びになる。

一度ならずも二度、三度と病気に立ち向かうご本人、ご家族の熱意と、それに答える誠実で聡明な医師との壮大な力が病院の頑ななガイドラインを打ち破った事を感じる。

④手術不能箇所の病巣の発覚。

主治医はご本人やご家族が納得するまで手術の可能性を探り、院内はもちろん、院外の医師にも相談し、セカンドオピニオンにも尽力されるが手術不能の結果が出る。しかし、放射線の可能性を捨てず難しい箇所への定位照射を院外の病院に見出される。院外の担当医も当然、治療の対象ではない、という姿勢をくずさなかったが、主治医の強いバックアップで治療を遂行される。

「主治医には、いつも医師としての充分な導きをして頂いています。
その上で無理強いをせず、出来る限り患者の意思を尊重して下さっています。
そして主人も努力しています。治療のダメージからの早期回復に努めたり、
いつでも次の治療に臨めるよう体力作りを常に心掛けています。
もし抗癌剤治療のみを選択肢としていたら、主人の場合は今の命は有りませんでした。
主人は柔軟な主治医のお陰で毎日会社に通い、スポーツを続け、
大好きなビールを飲んで過ごしています。
標準治療も多くの統計から導き出された大切な治療であることは分かっていますが、
全ての人に当たり前に当てはめるものでもないと感じます。
少なくとも主人は厳しい治療の結果に得た恩恵に満足しています。
ずっとは続かない恩恵であったとしても感謝しています。」と仰っている。

標準治療ではない、頭ごなしに無意味だと決め付けない、
あらゆる可能性を模索するオーダーメードのクリニックが少しづつ出来つつある。
しかし、あくまでもそれは集団のスタンスとして成立するものであり、
多くの敵の中でたった一人で戦うような背景の中、
主治医は、よくここまで患者の気持ちに寄り添い自身の信念を貫かれたと驚嘆する。
自分の置かれている状況に精神が萎えることなく、
勇猛果敢に真っ向から病気と闘おうとする患者と家族の熱意に、
思いやりの深い医師が
徹底してバックアップする意志を固めた背景がそこに存在することを強く感じる。
しかし、なぜ主治医がそういう気持ちになったのか、
私には確定できるだけの知識もないが、
単なる美談で済すことが出来るような単純なものではないような気がする。
全ての責任は私達が持ちます、という確固たる態度が、
言うまでも無く常に空気間として存在し続けた事も一つの要因ではないかとも推察する。
患者としての揺ぎ無い努力、
そして医療者としての包容力と信念が
絶対的な信頼関係の中で実を結んだ結果なのではないだろうか。
この様な関係は、そう易々と成立するものではない。
夫が延命治療を続ける大阪府立成人病センターでも、
そういうケースは現実的でない。
主治医と患者の関係は、
それぞれの立場での力が同等でないと成立しない。
お互いがお互いの責任を擦り合っている内は目的意識が明確にならない。
肉親ではないが、ある意味、運命共同体として突き進まなければ到達点には達しない。
結果はどうあれプロセスが重要なのである。
そして患者個々にはそれぞれの事情というものが存在する。
両者間の信頼関係が完璧であっても
経済的な問題、置かれている対場など様々な問題を抱えている。
それらを全てクリアする事は確率的には低いかもしれない。
しかし、それぞれの背景の中で
自分自身にとっては最善の納得地点というものが必ず存在するはずである。
そこに到達するには、やはり両者間の信頼関係が不可欠なのである。
医療者としての本領を充分に発揮してもらう為に患者として何が必要なのか、
今後も考え続けなければならないだろう。
私は医師ではなく、こんな素晴らしい経験を公開して頂いても、
あらゆる治療を模索する患者さん達に
的確なアドバイスも気の利いた励ましも出来ない。
不覚にも「患者さんの為に」などというおこがましいセリフを吐いた事を
許して頂きたい。