標準量 | 8月12日

市販されている薬の用法、用量の解説を見ると、
それぞれの状態に合わせるのではなく
年齢によって量を決めているものが殆どと言える。
素人が考えても、これは、かなり無理のある決め方だと感じるが、
まさか国が適当に判断しているはずもなく
考えてみれば市販薬が
如何に安全領域の広いものであるかが伺える。
近隣のクリニックで処方される薬も
抗生物質であってもビタミン剤であっても
朝晩、何錠とか、どの患者でも同じ服用量を説明される。
しかし、血圧を下げる薬やインシュリンなど、
患者個々の病態に合わせて投与しなければ逆に危険な薬剤に関しては
緻密にその量が決定され、
かつ、その後も頻回な検査によって調整が加えられる。
要するに安全領域が狭いものに分類されるものは、
標準量という決め方はされない。
しかし、安全領域の狭い極致である抗がん剤に関しては
何故か標準量という物が存在する。
これが話をややこしくする。
治ることの無い病気を患った者にとっては、
もはや如何に長く楽に延命するかしかないにも関わらず、
激しい副作用を無視して、
そんな量では効かないからと
標準量を盾に独断と偏見の猛威を振るう
悪魔のような医者を生んでしまうのである。
患者はあくまで素人であり、
「効かない」と断言されると即「死」に直結してしまう。
それでも自分の体は自分が責任を持つ、
と反論できる人は少ないのではないだろうか。
毎日、メールで頂く患者さん達の
理不尽な訴えを聞いていると心が痛む。
中には聞きもしない短めの余命宣告をしたり、
状況の悪さをこれでもかと言わんばかりに突き付ける医者も存在する。
まるで患者を欲求不満のはけ口としているような卑劣な医者もいるようである。
ここまで来ると、もう変質者の域だけれど、
実際にこういう訴えは少なくない。
現在の医療体制を考えると
オーダーメードの治療を実行するのは不可能に近いとも思うが、
せめて患者の声に最大限、耳を傾けて
最善の方法を聡明な頭脳で生み出して欲しい。
大阪府立成人病センターの夫の主治医は、
切実な患者の気持ちを受け入れ、
出来る限り希望に沿う努力をしてもらっていると思っている。
長年のキャリアによる
自身の裁量で治療を進めてもらっていると信じている。
こういう体制が全国の病院で当たり前になれば、
せめて心穏やかに残りの人生を過ごすことができるのに、
と願って止まない。