当事者と傍観者 | 6月6日

肺がんの末期の夫と生活する妻に対して、他人は、
よく「後悔しないように」という言葉を口にする。
何それ・・・。
私にとって、これは、「頑張れ」という無責任な励ましより気分が悪い。
後悔もクソも今、夫と二人の人生を生きている最中に、
私が一人になった時の精神状態なんか何の興味もない。
それを言うなら、後悔するならして、苦しむだけ苦しめばいいと思っている。
むしろ苦しむ事が即ち私の生きている証になるのだと思う。
二人の時間に自分の気持ちを主軸に置くのは
エゴ以外の何物でもないと思っている。
この感じ方は私だけの感覚かもしれない。
当事者と傍観者の間には常に相当な隔たりが存在する。
他人だから仕方がない。
無視すれば済むことでもある。
医療者とのコミュニケーションでも相容れない言動が続出し、
ストレスを溜め込むことも少なくない。
こちらは、直接、私達の人生のクオリティーに関わってくるので、
無視すればいいというものでもない。
大阪府立成人病センターのようなガン拠点病院の職員は、
死を目前にした人間に慣れ過ぎていて、
逆に患者に対して無神経になっているとも考えられる。
医療者と患者の関係は単に当事者と傍観者では済まされない。
人間関係に於いて、話さなくても解る、話せば解る、話しても解らない、
この3パターンが存在していて、
私は殆どが話せば解る関係だと思っているけれど、
今の医療体制は、
話しても解らない関係を数多く生み出している気がしてならない。
医療不信を排出している原因に傍観者は気付いているのかいないのか、
核心に触れようとすると、常に駆け引きが見え隠れして、
益々話しを複雑にする。