見えてきたもの |2月9日

いったいどの薬剤が今の夫の状況にふさわしいのか、

来る日も来る日も、悪い頭を最大限に働かせて、

いや、働かせたつもりになって考えて来たけれど、

様々な情報を収集する中で、はっきり見えてきたものがある。

政府の政策と一緒で、いくら頑張っても老人は増え続け、

その老人を支える若い力は減少の一途を辿り、

もはや、やる気のない政治家は、

その収拾の付かない事態に、

ただ々国民に対するごまかし戦術で

何とか乗り切っているに過ぎない。

自分でも、そのお粗末な対応方法に後ろめたさを感じつつも、

誰一人その事態を打破しようと

勇猛果敢に挑んで来る人物が存在しないことをいい事に、

「赤信号みんなで渡れば怖くない」現象に流されている。

もっとも、これがいちばん楽で止められない。

流されるだけで莫大な給料が入って来るほど美味しい事はない。

医療業界もこれと同じであることに気がついた。

治ることのない末期のがんに罹った患者に対する医療行為は、

その副作用があっては何の意味もない。

製薬会社が莫大な利潤を追求するあまり、

日進月歩で新薬が開発されているが、

それとて標準治療にしか興味を示さない

大阪府立成人病センターなどのガン拠点病院で

抗がん剤治療に勤しむ医師にとっては、

正に猫に小判、豚に真珠は言い過ぎだろうか。

いくら素晴らしい武器を持っていても、

そこまで画一化して患者を診ることしか出来なければ、

先生方の大好きな奏効率を上げることも、

生存期間をのばすことも不可能と言える。

外科医だって、世界にひとつしか存在しないような

素晴らしい切れ味のメスを持っていても、

それを使う本人の実力が無ければ、

ただの宝の持ち腐れになる。

医師の場合、政治家ほどの報酬は望めないだろうけれど、

怠惰な横流れ現象はよく似ている。

患者個々によって、副作用の出方も

薬剤に対する感受性も、百人居れば百通り違うのに、

同じ投与量で同じ投与方法でいいはずが無いことくらい、

このど素人の私にも解る。

ここのところをどう打破するかを考えると、

様々な制約の中、さぞかしプロの医師たちはジレンマに陥り、

自分の知識や経験を社会に活かす術に

心労が絶えないだろうと、つい思ってしまうけれど、

どうもそんな人物はほんの一握りらしい。

「こんなことをする為に医者になったのではない」と

患者の視点にたって、自分が出来る範囲の

言わば個性豊かな治療をしている医師が

数人は存在するような気がする。

本当に自分自身の確固たる信念の下に

その医療を提供しているのか、

単なるCM広告で奇をてらっているのか、

判断しなければならないが、その見分け方も以前に書いた。

と言うか、お互い真剣なら解ってしまうものでもある。

しかし、患者は自分を取り巻くあらゆる状況を把握しなければならず、

経済的、距離(時間)、精神面も含む体調を考慮しなければならず、

必ずしも受けたい延命治療を受けれるとは限らない。

実際、私は今、何を選択するかに非常に疲れていて、

そしてむなしい。

今、漠然と、でも、もうこれしか無いのかなとも思うのは

高齢者に対する抗がん剤治療。

標準治療の薬量を自分で少なく設定したり、

組み合わせを考えるのは

あまりにも素人には有り得ない行為で、現実味がない。

夫はまだ58歳で体力もある。

少なくとも人間が作り出した薬剤に殺されるのは

ご免こうむりたい。

今は数人の正義が、

やがて若い優秀で聡明な医師を数多く生み出し、

その勇猛果敢な若い力が

厚生労働省を動かし、

怠慢な医師を医療業界から追い出し、

何れ世界のお手本になるような

真の末期医療を作り出して欲しいと

心から願う。