人格者とは | 1月16日

私は元来、先生と呼ばれる職業に従事している人間が苦手である。

理由は弁護士、会計士、教師、医師と50年以上の人生の中で、どのジャンルの人とも

一人は出会って来たけれど、いずれも自ら「先生ですよ」ビームを発しているから。

何故そう自分の肩書きに必要以上に反応し、誇示するのか不思議に思う。

これがある以上、話を進めて行く意思が失せ、

どうも、そう言う人たちに対する許容量が極端に少なくなる。

この間、ドラマを見ていて主人公のセリフに

「先生と呼ばれるほど成り下がっちゃあいないよ!」というのがあった。

世間一般でも、こんなセリフが通用するほど、

私と同じ感覚を持つ人が少なからず居ることを知った。

しかし、今までに出会った人達の中にも二人だけ先生ビームの存在しない方がいる。

一人は長年、動物好きの夫婦が捨て猫を拾っては運び込んだ獣医さん。

口は悪いが肩書きを笠に来て威張るそぶりは微塵もない。

顔を合わした瞬間から、持ち込んだ猫や犬を食い入るように覗き込む。

そして的確な判断の下、いつも完璧に治してもらった。

挙句、「捨て猫やから治療費はいらんで」と言う。

評判が評判を呼んで、全国から来る動物愛好家で狭く古い診療室はあふれかえっている。

それだけ繁盛しているなら、さぞ新しく大きなクリニックに変身できるだろうにと

いつも思うけれど、「おい!あれ、タダでやっといて!」とか「それは金いらんで!」とか

聞こえてこない日がない以上、経営は甘くないのだと思う。

70歳を過ぎる現在も奥様と二人、そして助手の女医さんと慎ましく、

だけどバツグンの腕で熱血獣医さんを続けている。

そして、もう一人は、大阪府立成人病センターの心療・緩和科の主治医である。

この医師からも「先生ですよビーム」は微塵も感じたことがない。

いつも穏やかで、患者と医師の間に存在する独特の威圧感をもってして

話を進める雰囲気は何処にもない。

一般の医師に見られる自分が一段、上に立つのではなく、

むしろ一段、下がって患者を診る姿勢が変わらず安定している。

何よりもすごいと思うのは、常に変わらない、ゆっくり過ぎるかと思われる口調と

穏やかな物腰は、実は、本来の姿ではなく職業上での努力だということ。

これは、たまたま講演をされている動画サイトを発見してわかった。

そこでは結構な早口で力強く発表される姿があり、

ぼんくらな新米医師を一喝する事も容易に想像できるような雰囲気であった。

この二面性は、いかに職務に忠実であるかの裏返しであり、

久々に意志強固な医師に巡り合えた気がしてうれしかった。

夫が最初の診察の時に

「先生は努力して、そう言う風にゆっくり、話されるのですか?」と聞いたことがある。

「いえ、特に意識してる訳ではなく、このような性格なのですが、

ゆっくり過ぎてイライラしますか?」とおっしゃったのを思い出す。

しかし、たいへん残念なことに4月から転勤になると伺った。

もう二度とお会いすることもないと思うと短い月日だったけれど、

とても感慨深いものがある。この二人を見ていて思う。

人格者とは、常に謙虚に自分の全うすべき道を延々貫く人なのではないだろうか。