エビデンスの真意 | 2011年9月9日

医者は何かにつけエビデンスを主張する。

確かに私自身も科学的根拠の無い物は信用出来ない。

たまたま出た結果に左右される気にはならない。

しかし、どう頑張っても病気は治らない。

従ってエビデンスに関しても、

もはや目くじらを立てるに値するものでもない。

大阪府立成人病センターの主治医も

科学的根拠に基づく治療が何を置いても最高のようにのたまうが、

治らない病を宿してしまうと最高も最低も大差はない。

そもそもエビデンスとは命の長さを言うのだろうが、

苦しんで生きても何の価値もない。

しかし、医者の言う最高結果はそこのところが排除されている。

だから患者は医者とは逆行して

楽に生きれる方法を自分で模索し出す。

今やインターネットで様々な情報を入手出来、

その知識は新米の医師より余程確かで豊富だったりするけれど

、素人の薄っぺらい知識の披露にどうも彼女はうんざりするようで

、何を聞いても「エビデンスがない」の一点張りで

オウムのごとくそれを繰り返し、ただただ突っぱねる。

理由をしっかり説明せずにシャットアウトするほど簡単な事はない。

なにを聞かれても「解らない」「エビデンスがない」「それなら別のところに行け」

後は薬の処方箋を出すだけ。

こんな仕事なら小学生でも出来る。

あなたの仕事は、聞かれた事に私はこう言う理由で、

その方法は納得できないと解り易く患者が納得するまで説明することであり

患者の精神的、肉体的苦痛を取り除く事に全精力を傾ける事である。

結果ではなくプロセスが問題なのである。

ブログ仲間の主治医に

「標準治療はこれだけれど、他にやりたい治療や

これはどうかと思われる物があるのなら私の方でしらべるし、

紹介状も書きますから何でも言って下さい。」

と言ってくれる医師がいるそうで、うらやましくて仕方がない。

人生最大のピンチに

こんな医師が付いてくれていると思うだけで気持ちが落ち着くのに。

この驚異的な隔たりに運の無さを思い知らされる。

でも私よりももっと理不尽な思いを抱いて耐えている患者もいる

と自分に言い聞かせてみる。