「治せない」と言うこと|2011年9月4日

治らない病気に罹ってしまうと

治る病気に対する姿勢とは全く違った精神性が必要になってくる。

治るのであれば、どんなにつらい治療であっても

その先には明るい未来がある訳で

そうなると医者の言い分も全て受け入れる体勢が自ずと出来る。

しかし、治らないとなると話は違う。

未来が無い事が大前提になるからには今を生きるしかなく、

そのクオリティーのみが問われる事になる。

従って治らない病気を宿した患者は

精神的かつ肉体的な緩和医療に全精力を傾けてもらうしか方法が無い。

医師側もそこを深く認識すべきで、その上で職務を全うして頂きたい。

「治せない」と言う事をもっと恥じて頂きたい。

大阪府立成人病センターに去年、最初に入院する時に

「お酒を一滴でも飲めば、即刻出て行ってもらいます」と主治医に言われた。

何とも知性の無い言葉に初っ端から嫌気がさした。

お酒を飲みます、と宣言したわけでもなく、

地獄の底に叩き落され、極限の不安を抱く人間に向かって

何とも薄っぺらい見解が飛び出したものだと呆れ返った。

色んな患者が居るから、歯止めのつもりらしいが、歯止めになっていない。

患者の身になって考えていないにも程がある。

もし、仮にそのような事態が生じても

それは極限に追いやられた人間が

苦しみから逃れる為に取った行動に過ぎない。

少なくとも大阪府立成人病センターのような

重篤な病人を抱えた特殊な場所では、

「一緒に考えましょう。」と言う姿勢が無ければ

両者間の意志の疎通が図れない。

タバコを吸うな。お酒を飲むな。

風紀委員じゃあるまいし、そんな簡単に仕事をするなと言いたくなる。

何も難しい事ではない。

「治せない」ことをいつも頭の片隅に置くだけでいいのだと思う。